鯨さんの三国志

7/7 ヒマワリの 形はあれど 味は無し
今月中旬仕事でパキスタンに2ヶ月程行くことになった。
しばらくこのコーナーもお休みになると書いてて思うのは前回から3ヶ月程経ってること・・・・
まあそういう事は置いといて、パキスタンからも写真と共に原稿送れればと思っている。
向うで蒲田で磨いた技で35歳ぐらい下の伴侶も見つけるつもりだ。

さて本題に入るが、現在の若貴兄弟の争いを見て深く思うのは魏の曹操のことだ。
曹洪、曹仁、曹丕 などの骨肉の争いに関しては長くなるので省略するが、あの時代も今も変わらないのはそもそも兄弟というのは協力し合うものでなく、親の愛を奪い合うライバル、戦うべき宿命を持っていることだ。
また闘いとは私も数々の戦歴があるが、名をとるか実をとるか、どちらに重きを置くかで戦略も生まれるもので、今日現在の若貴でいうとお兄ちゃんが名を取る方を選んで、弟は名も実も欲しいと、これはどうみてもお兄ちゃんが土俵際まで追い込んだ見事な切り返しといえるだろう。
私も振り返ると名を取る生き方をしてきた。
人にどう思われようとこれからも風呂屋で走ったり湯船でふざけてるガキどもは10秒ぐらいは沈めて人の道を伝えて行きたい。
齢55にして海外の新天地で新たな闘い、まだまだ体力、気力とも充実している。
墓参りも行き、壮行会も開いてくれるというのでまたビール瓶一気でも皆さんにお見せしよう。

最後に今日行列の出来る大森の洋食屋に行ってきた。
オムライスがデミグラスソース、卵の半熟度、グリンピースのレイアウト、何処から見ても美しいヒマワリだった。感動を覚えて食べたが・・・・・・・・・・・・
    ヒマワリの 形はあれど 味は無し
見た目に誤魔化されてはいけない教訓をまたひとつ体に刻み付けた。
この経験がパキスタンでも行かされることだろう。

 それでは皆さん明後日滝亭でお会いしましょう。
4/18「良い奴は、自分にとっての、良い奴か」
子供のころより読んでいた三国志だが、劉備という主人公がどうもよく分らない。

たいていこんなふうな戦記をを書けば強くて痛快な主人公が突き進んでゆく物語を期待するが、この男は戦といえば負けているそれだけで、しかもそのあと泣く、吉川英治版では号泣、嗚呼、噫、などと嘆きかなしんでばかりいる姿がめだつ。

しかし不思議なことにこの男は、関羽、張飛をはじめとする多くの英雄豪傑を曳きつけ、領地も武力何もない人間がなぜもこんなにも多くの人を曳きつけ最後に蜀という国をうちたてるのか、不思議である。北方の言葉を借りれば、劉備は男をたらしこむ「男たらし」である。
それはその人の持ついわゆるカリスマとゆうものなのだろうか、たとえて言うならばうまい料理のように文章などでいくら説明しても理解し得ないようなものだったのではないか。

現在のような過多メディアない時代に多くの人々は実際にその人に触れて見なければ感じえない何かがあったのではなかったか、また人の相性のように実際に会って話すと結構いいやつだったのかななどと考えたりもする。

テレビやニュースとかに現れる人物なども実際に合ってみれば違うのかもしれない。
とにかく英雄豪傑でない私には読めば読むほどわからなくなる人物である。

「良い奴は、自分にとっての、良い奴か」
2/26「春を待つ 不遇の時は あと一歩」
今回は本当は戦国の世にあって硬い友情を貫き通した劉備,、関羽、張飛を書きたかった。
三人は戦場で裏切らずに最後まで義兄弟の関係を保ち続けた。
保たれてゆく友情はただ単に当たり前の事ではなく、それは本来他人同士の結びつきである。
一見当たり前に続いてゆく人間同士のさまざまな関係もたとえば他人同士がともに暮らす夫婦だけではなく血の繋がった親子や兄弟であってもお互いに結びつき思いやってゆこうという気遣いが無ければ成り立っては行かない。
しかもそんな中たとえばどちらか片方が非常に豊かになったりまたは不遇になったときには互いの境遇や価値観が変わり続きにくいものであろう。
この兄弟は国の建国という共通の目的のために供につらい戦いを続けることが出来た。
その共通の苦しさこそが強く彼らを結びつけたのであろう、お互いにともに生きてゆこうという努力とそれらを包み込んでゆく運命、まさに縁がなければ関係は続いてゆかない。

鯨の一吹き そのB
最近、年々新たな友人にめぐり合うことが少なくなったこの頃ではあるが、せめて今の関係を長く続けたいと祈るこの頃である。

「春を待つ 不遇の時は あと一歩」
12/20 「年の瀬も 昨日と同じ 星一つ」
この夏NHK人間講座にてわたしにとって30年ぶりの三国志に出会う。
吉川英治の三国志である。今より40年前中学生の私はその頃各出版社より発刊されていた文学全集を求めに。小遣いを貯めては本屋に走ったものである。高度成長に踏み込んだ当時は分厚い豪華本を書庫に並べる余裕がやっとうまれてきた時代であった。まだ柔らかな倫理観も流れていた。
「草原を走る馬泥棒、追いかける一団の騎馬」、現在、北方謙三版はよりアクション的に始まる。こんな物語を私は今,軽便な文庫本にて読んでいる。機能を追求し時は流れ一見無駄と思われることはことごとく排除されてきた。手書きよりワープロ、手紙よりメールこんな風潮に遷てきたがしかし演歌の歌詞ではないが「文字の乱れは線路のきしみ愛の名残じゃないですか・・・」この微妙な行間を思いやることによりその裏側を察したいものである。
情報はデジタルで感情はアナログで・・・・
かくゆう私も現にホームページ上に現れているが常に機能と想いの両輪を忘れずにいたいものです。

鯨の一吹き そのA
凶悪犯罪が未解決のまま増え続け、親殺し、子殺しなど信じられない様な事件が続きやるせない師走になっている。
生きる事に精一杯だった時代でなくなり余剰が多くエネルギーがいたるとこであり余リ、また不況といってもまだまだ経済的余裕があるからこそNEETも増え続けているのだろう。
銭湯で走る子供を私以外怒る人がいなくなってもう20年以上たつ。
いつの時代も若い者はおじさんに色々言われてきたのに今はそれは無いのかも知れない。
今年最後に鯨から若者に一言贈ろう!

(◎_◎)「情報でなく、感情を大事にしなさい」(◎_◎)

みなさん酔い御年を!  

(☆o☆)  「年の瀬も 昨日と同じ 星一つ」
11/17 「無血の地 解いて埋めたい 腰のピストル」
紀元前239年、日本より卑弥呼の使者が魏の国を訪れた。歴史書の中に始めて日本が初めて文字で記録された。しかし「三国志」の舞台はこれ以前の魏、建国の物語である。私たちが普通、三国志として読んでいるのは、実際にあった歴史書を後に脚色した三国志義援が多い、いわゆる創りものである。しかし劉備という男がいた、関羽、張飛という男たちがいたという大筋は当時の正式な国史に記されている。
そんな昔のことは信じられないという人もいると思うが、後の彼らを想うう人たちの中にこのようであったろう、こんな風であってほしいという想いが重なって今の時代まで語り継がれてきている。そして今なお多くの人の思いと解釈にもとづき新たな「三国志」が生まれ続けている。

鯨の一吹き その@
先日、国家設立に燃えたPLO議長、ヤセル・アラファトが亡くなった。いまはもう仮の和平になってしまったが、軍装を解かずに世界各国を奔走していた。彼もやがて物語の中に入ってゆく。
「無血の地 解いて埋めたい 腰のピストル」 
11/4 俺が鯨だ!
そろそろいくからな!俺さまが鯨だ!
俺ぐらいの年になると人生かなり見えてくるもんだ。
この世界をアメリカもイラクも北朝鮮もまとめて喝破してやる。
来週から週一回心して聞けよ。 


トップへ
戻る